2008年12月11日 (木)

ABC

昨日のボーナス支給日。他の地域にとっては何をいまさらではあろうが、札幌市では今回のボーナスから教員評価がボーナス額に反映された。産出額を50万とした場合(まあ、40歳くらいの人と思ってもらえばいい)、評価BならCに比べてプラス3万、評価Aなら更にプラス3万、ということになる。評価Bなら3万円、評価Aなら6万円、それが仕事を評価されたことの代償である。それに比べて、評価Cなら、これまでに比べて1万円程度の減額、ということになる。

今回の措置、実はすべての職員のモチベーションを下げたのではないか、そんな気がする。

まず、評価Cをもらった大多数の教員。彼らのモチベーションが下がったであろうことは言うまでもないだろう。「自分はどうせCの教員なんだ」「あんなに頑張ったのにCか」「へへへ、うまいことさぼってきたからしょうがないけれど、もうCをもらって給与格差までくらったんだから、いままで通りでいいっていうお墨付きをもらったようなものだ」などなど、具体的にどう思うかはいろいろあろうが、いずれにしても「これまで以上に頑張って評価を上げなくちゃ」と思う人間はほとんどいないだろう。中には「自分はCだ。もうよけいな仕事はしないぞ。これまで自分が善意でしてきたような仕事は、AやBをもらって金を多くもらったやつがやればいい」なんて思う輩もいるに違いない。

では、AやBと評価された教員はどうか。まあ、あまりここに詳しくは書けないが、私から見れば、AやBをもらっている教員たちは確かに頑張って働いており、能力も高い。管理職や市教委がそれほどいわれのない評価をしているわけではない、少なくとも私にはそう見える。(言い訳がましいが、これは勤務校のことを言っているわけではない。私は勤務校で誰がどのような評価を受けているのかを知らない。)おそらく、少なくとも相対的に評価すれば、妥当な評価が行われていると見てよい。

しかし、問題は金額である。A教員やB教員は、C教員に比べて、実はべらぼうな仕事量をこなしている。生徒に学力をつける授業を日常的に研究し、生徒指導に奔走し、教育課程の編制に努力し、学年・学校経営のシステムづくりやPC環境のメンテナンスにまで配慮して同僚が仕事をしやすい環境づくりに気を遣っている。そして、その代償が3万円とか6万円なのである。いわゆるボーナスが半期に一度支給されることに鑑みれば、イメージ的には月に5千円~1万円ということである。

これはもらった側の心象としては複雑なものがある。これまでのように給与格差がない状態ならば、それは仕事の量の違いも仕事の質の違いも、個人の能力の問題となり、自分は能力が高いのだから能力の低い人間ができないことまでやらなければならないのだ、そうして組織ってのは動いていくもんなんだからしょうがない、という論理で自らを納得させることができる。こうしたプライドをもつことが、次の仕事に対する意欲にもつながっていく。

しかし、現実にその仕事の差が金額として半年で3万円、半年で6万円という形で具体的に出てしまうと、自分の頑張りが値踏みされているという印象をもってしまう。更には、自分が現実に被っている仕事上のストレスのほとんどが、他人に対するフォローであることに鑑みれば、この3万円、6万円を捨てれば、他人のフォローをしなくてもいいのではないか、独善的な仕事ぶりが許される立場になるということではないのか、そういう悪魔の囁きも聞こえるようになる。月に5千円~1万円を捨てれば、家でナイターを見ながらゆっくりとビールを飲む時間が確保できるようになるのではないか、土日に趣味に興じることができるようになるのではないか、そういう日々を想像しない者はおそらくいないだろう。中には「よし、これからは一般教員よりも3万円分程度だけ多く働くことにしよう」「プラス6万円ってことは、このくらい働けば十分だろう」なんていう思考をする者もいるかもしれない。

結局、すべての人間が自分の能力を最大限に生かして働こうという意欲を減退させてしまうのではないか。私はそれを怖れる。

これを打開する手立ては二つしかない。一つは給与格差をなくしてもとの状態に戻すこと。そうすれば、再び、鍋ぶた組織が機能し始める。そしてもう一つはもっと格差を広げることである。C教員から3~5万円程度マイナスし、B教員にはプラス10万、A教員にはプラス30万といった格差をつけることだ。ここまで差がつけば、A・B教員もある程度納得する。自分の仕事量に見合った報酬が得られていると感じられるからだ。

では、どちらがいいか。

答えは簡単である。明らかに前者だ。後者はA・B教員のモチベーションを高めたり維持したりはできるだろうが、C教員のモチベーションは更に落としてしまう。そうすると、A・B教員がいくら意欲をもって仕事をしようとしても、それにいっしょについて来るC教員が激減することになる。言うまでもなく、いくら能力が高いと言っても、仕事のほとんどは一人でできるものではない。C教員のモチベーションが下がれば、A・B教員のパフォーマンスも下がってしまう。しかもそれは急降下する。目に見えてA・B教員のパフォーマンスが下がるのに、おそらく半年とはかかるまい。

さて、私は校長や教頭を批判したいのではない。市教委を批判したいのでもない。彼らは口が裂けても言わないだろうが、校長だって市教委だって、今回の措置をやりたくてやっているわけではない。だれが好きこのんで他人の生活にマイナス影響を与える施策をやりたいなどと思うだろうか。彼らだってできればやりたかないに決まっているのだ。そして彼らも、これまで通りのほうが学校をよく機能させられるだろうと思っているに違いないのだ。ほんのひと握りの不適格教師を除けば、教師と呼ばれる者たちが善意でこそ動くのだということを、管理職の誰もが、そして市教委の誰もが知っているのである。

国の発展が止まり、国が貧乏になり、それでも能力のある者、意欲を持つ者に報いようとするとき、現場も、現場責任者も、地方行政も、みーんなせつない思いをせざるを得なくなる。みーんながせつない思いをすればするほど、かつては多様だった物事の価値観が「金」に収斂されていく。基準が「金」に収斂すればするほど、みんなのせつなさが増幅する方向へと舵を切らざるを得なくなる。それしか政策がなくなってしまう。まったくせつない世の中である。

今日、1週間振りにガソリンを入れたら、リッター109円だった。ちょっと嬉しかった(笑)。まったくせつない世の中である。

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2008年11月25日 (火)

「教師力BRUSH-UPセミナーin旭川」のご案内

私が代表を務める「教師力BRUSH-UPセミナーin旭川」のご案内です。今回も子ども・保護者、そして教師を取り巻く環境の変容をテーマに行います。お誘い合わせのうえ、ご参加いただければ幸いです。お申し込みはこちらまで。

第16回教師力BRUSH-UPセミナーin旭川
主催:教師力BRUSH-UPセミナー
後援:北海道教育委員会

教師を取り巻く「子供」「保護者」「世論」が変わってきています。その変わってきているものに対して、私たち教師が変わらずに対峙していかなければならない側面もあれば、変わっていかなければならない部分もあるのではないでしょうか。

第16回教師力BRUSH-UPセミナーin札幌は、このような状況の中の「教師の置かれている立場」にスポットをあて、そんな状況に対応できる「教師力アップ」のためのセミナーです。共に学びましょう。たくさんの参加をお待ちしております。

日 時:12月6日(土)
9時50分より/場 所:旭川市勤労者福祉センター
参加費:3000円(学生は1500円)

9:20 受付 9:40 開会セレモニー

9:50~10:50 「対話型ワークショップ」その1
WS1…南山潤司(札幌市立南小学校)、高橋裕章(札幌市立真駒内緑小学校)、山口淳一(札幌市立藻岩北小学校)
「モンスターチルドレン/ペアレンツへの対応」
WS2…大野睦仁(札幌市立厚別通小学校)・石川晋
「学級通信で子どもの心をつかむ」
WS3…太田充紀(名寄市立智恵文小学校)・高橋和寛(芦別市立啓成中学校)・森寛(札幌市立向陵中学校)
「これだけは身につけたい授業技術」
WS4…藤原友和(函館市立戸井西小学校)、梶倫之(幌延町立幌延小学校)、山下幸(札幌市立上篠路中学校)
「事例で語り合おう。なぜ、教師は苦しむのか」

11:00~12:00 「対話型ワークショップ」その2
WS5…堀裕嗣(札幌市立上篠路中学校)、森寛、山下幸
「ロールプレイ・小学校にも必要な<中学校型生徒指導>のイロハ」
WS6…大野睦仁、平山雅一(三笠市立三笠中央中学校)
「学級に潤いをもたせる<グループ・エンカウンター>」
WS7…高橋正一(枝幸町立岡島小学校)、山寺潤(厚沢部町立美和小学校)、山口淳一
「授業を支えるシステム~ノート指導・発言指導・グループ討議」
WS8…湯藤瑞代(北海道紋別養護学校)、梶倫之、石川晋
「特別支援教育コーディネーターの役割」

13:00~14:15 「対話型ワークショップ」その3
WS9…南山潤司、高橋裕章、山口淳一
「学級崩壊の兆し・チェックリスト/いまからできる3つの手立て」
WS10…小泉幸男(旭川市立東町小学校)、大野睦仁、山下幸
「今日的課題を扱う道徳授業」
WS11…佐藤美貴(旭川市立陵雲小学校)、太布智子(深川市立深川中学校)、堀裕嗣
「全員参加を保障する授業技術」
WS12…梶倫之、湯藤瑞代
「特別支援教育・5つのポイント」

14:30~15:45 「対話型ワークショップ」その4
WS13…小泉幸男、小林智(旭川市立旭川第二中学校)、高橋裕章、堀裕嗣
「<いじめ指導>の極意」
WS14…鈴木将之(札幌市立簾舞小学校)、高橋和寛、南山潤司、山下幸
「学級がうまくいかない/いまからできる手立て」
WS15…藤原友和、大野睦仁、森寛
「<活用力>を高める読解指導/PISA型読解力」
WS16…高橋正一、山寺潤、石川晋
「小規模校に必要な教師力/3つのポイント」

16:00~16:45
シンポジウム「いま、必要な教師力/教師の力量形成・3つのポイント」
司会…森寛
シンポジスト…大野睦仁/高橋裕章/高橋正一/堀裕嗣/石川晋

16:45 閉会セレモニー

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2008年11月24日 (月)

拡大解釈

インターネット・エクスプローラーのホームをニフティからヤフーに変えた。

ニフティのトップページに掲載されるニュースがあまりにもエンターテイメントに偏りすぎていると感じたからだ。ヤフーはニフティに比べれば少しいい。

トップページのトピックスの「一覧」を開き、更に「国内一覧」を開く。ふむふむと項目を見ていくと、「社会」の項目の一つに「教師の不祥事」とある。驚いた。「年金問題」「消費者保護」「交通情報」「死刑問題」「おくやみ」「世論調査」などと並列で、「教師の不祥事」があるのだ。それだけ教師の不祥事が多いということか、それともそれだけ教師の不祥事に関心が集まっているということか。おそらく両方だろう。教師は一般人の人たちが引きずり下ろしたいと考えるような、身近にいるちょっとその待遇が羨ましい、そういう存在になったのだ。身分も公的だし、もともと聖職なんて言われていた職業だから、そのスキャンダルは楽しい。それは人情である。

さて、「教師の不祥事」を開いてみる。女子高生を買春したわいせつ校長、家庭ゴミを不法投棄した教諭、電車で痴漢行為に及んだ教諭、部活備品をネットオークションで売却していた教諭、と、まあ、よくこんなに不祥事があるものだと驚く。どれも身近には起こったことのない、聞いたことのないタイプの不祥事である。

目を引いたのは、「勤務抜けだし“乗馬” 中学女性教諭を懲戒免職処分」(毎日新聞)という記事。以下引用。

大阪府守口市立中学校の女性教諭(50)が約2年間にわたり勤務時間中に乗馬教室へ通っていた問題で、府教委は20日付でこの教諭を懲戒免職処分とした。/この教諭は06年8月~08年10月、年次休暇を届け出ずに計91回、職場から抜け出して大阪市内で乗馬レッスンを受けていた。無断で学校を離れたのは約220時間に及ぶが、教諭は「問題はないと判断していた」と話しているという。

別に二ュースそれ自体には驚かないけれど、この女性教師のコメントには驚かされる。「問題はないと判断していた」と言っていると言うのである。

検索をかけて調べてみると、どうやら今回の職務専念義務違反は、長期休業中及び空き時間になっている午後であるらしい。しかも無断で早退、回数は44回にのぼるらしい。つまりこの女性教師の中には、長期休業中や空き時間は授業がないので、職場を離れて私用に時間を使っても問題がないという認識があったということである。

これはすごい。

先に挙げたわいせつ校長も不法投棄教諭も、痴漢教諭もネットオークション教諭も、自分が悪いことをしているという自覚はあったはずだ。ばれればとんでもないことになる、ばれれば処分される、ばれれば懲戒免職の怖れもある、それがわかっていたはずだ。しかし、この女性教師には、それほど罪の意識がなかったのではないか。

おそらく日教組がどんなに強かった時代にも、こんなことが学校現場で認められたためしはない。確かに我々教職員にはいわゆる「昼休み」がないので、それを勤務時間終了直前に持って行って45分ほど早く帰ってもよいと暗黙の了解があった時代があった。教委と労組が、或いは校長と分会が交渉して、このあたりを落としどころとしていたのである。だが、それさえも無断でその時間に帰ることを認めていた学校はあるまい。

おそらく、この女性教師の「問題はないと判断していた」というコメントは、こうした慣習が拡大解釈に次ぐ拡大解釈によって「なあなあ」になっていたことから来たものである。府知事がさんざん日教組の批判を展開して問題になったが、もしもそのような実態が大阪府にあるとすれば、それは知事の指摘も肯けるというものである。

確かに人間は楽な方へ楽な方へと拡大解釈をしがちである。しかし、無断早退が許される職場など、おそらくこの国にはあり得ない。そんなあたりまえの感覚さえ麻痺してしまうほどの実態が、大阪府にあるということなのだろうか。たった一人とはいえ「問題はないと判断していた」と応える教師を生んでいるということは、大阪府にそういった風土があったと思われても仕方ないだろう。

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2008年11月23日 (日)

ログイン。ログオフ。

しばらく振りの更新である。

更新が滞り始めた要因はひとえに、学校祭・合唱コンクール・20周年記念行事に専念しなければならなかったというきわめて物理的なものなのだが、それらはすべて10月中には終わっていたのであり、ここまで滞ったことの理由にはならない。人間、楽な状態に慣れてしまうとその物理的な要因が取り除かれたあともなかなか元のペースに戻ることができないということか。これを「怠惰」という者もいたし、「堀さんのブログを楽しみにしているのに最近更新されませんねえ」などと実に好意的な脅迫を寄せてきた者もいた。いずれも、私にとっては迷惑な話である。

私には「書斎日記」を更新し続けなければならない社会的責任などないのだし、これに比して、学校祭・合唱コンクール・20周年行事に対しては、私には専念しなければならない社会的責任が課せられている。どちらを優先すべきかは火を見るよりも明らかな話である。

私はこの「書斎日記」を勝手にアップしており、読者の皆さんはこれに勝手にアクセスしている。アップするか否かの是非は私が握り、アクセスするか否かの是非は読者が握っている。そういう関係である。私のHPが「価値なし」と判断すればアクセスしなければいい、私に社会的責任が生じていない以上、私にはこのように言う権利がある。

しかし、この構図が現在、公務にも見られる。これが多くの教師を悩ませている。

現在、授業においても生徒指導においても学校行事においても、教師の指導が下手だった場合には、生徒たちがすぐにログオフしてしまう。主導権が教師にではなく、生徒にあるという状況が生まれつつある。もちろん、現実の指導場面においてはまだまだ教師に主導権がある場合が多いのだが、少なくとも言論状況においてはログイン・ログオフの主導権が生徒の側にあるかのような言論が主流を占めつつある。そこでは、教師に社会的責任があるが故に、「アップするか否かの是非は教師が握り、アクセスするか否かの是非は生徒が握っている」と言ってはならない。生徒にアクセスしてもらえないのは、ひとえに教師の指導力が足りないのであり、教師の努力が足りないのである。

さて、この論理に我々教師はどう立ち向かっていけばよいのか。

基本的には〈快〉を提供し続けることである。言い換えるなら、生徒たちに過剰なストレスを与えないようにコントロールし続けることだ。現在の生徒たちは(おそらく大人も)長時間の〈不快〉には耐えられない。

すると、例えば、次のようなことが必要になる。

まず第一に、すべての学習活動をわかりやすくすること。学習活動に取り組むには、その学習が自分にとって重要であると生徒が実感できるような〈物語〉が必要になる。この〈物語〉が複雑ではいけない。単純化され定型化されたものでよい。ワンフレーズでズバッと説得することが必要になる。

第二に、学習活動の規模を徹底的に縮小すること。例えば、合唱コンクールの練習を本来なら毎日1時間から1時間半行うところを、一日30分とする。その代わり集中して取り組もうと告げる。こうした論理だ。この手の論理に対して、現在の生徒たちは肯定的に反応する。

第三に、薬物のごとき強い「快-感動」を与えることであろう。もちろん学校教育の中で薬物のような快楽を与えることは不可能である。しかし、努力・忍耐・協力といった学校文化だけで現在の生徒たちがコントロールできると考えるならば、それは時代錯誤と言わざるを得ない。あくまでも時代に即応した、現代的な〈快〉を提供しなければならない、少なくともそれを教師が希求しなければならない、そういう時代に入ったのだ。

そろそろ学校教育にも、こうしたことを考えての、具体的には生徒たちにログオフさせない環境を整備しながら、一年間を、或いは三年間を巨視的に捉えながら学校文化に少しずつ巻き込み、慣れさせていく、そのような新たな権力の在り方が必要とされているのではないか。そんな気がする。

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