ログイン。ログオフ。
しばらく振りの更新である。
更新が滞り始めた要因はひとえに、学校祭・合唱コンクール・20周年記念行事に専念しなければならなかったというきわめて物理的なものなのだが、それらはすべて10月中には終わっていたのであり、ここまで滞ったことの理由にはならない。人間、楽な状態に慣れてしまうとその物理的な要因が取り除かれたあともなかなか元のペースに戻ることができないということか。これを「怠惰」という者もいたし、「堀さんのブログを楽しみにしているのに最近更新されませんねえ」などと実に好意的な脅迫を寄せてきた者もいた。いずれも、私にとっては迷惑な話である。
私には「書斎日記」を更新し続けなければならない社会的責任などないのだし、これに比して、学校祭・合唱コンクール・20周年行事に対しては、私には専念しなければならない社会的責任が課せられている。どちらを優先すべきかは火を見るよりも明らかな話である。
私はこの「書斎日記」を勝手にアップしており、読者の皆さんはこれに勝手にアクセスしている。アップするか否かの是非は私が握り、アクセスするか否かの是非は読者が握っている。そういう関係である。私のHPが「価値なし」と判断すればアクセスしなければいい、私に社会的責任が生じていない以上、私にはこのように言う権利がある。
しかし、この構図が現在、公務にも見られる。これが多くの教師を悩ませている。
現在、授業においても生徒指導においても学校行事においても、教師の指導が下手だった場合には、生徒たちがすぐにログオフしてしまう。主導権が教師にではなく、生徒にあるという状況が生まれつつある。もちろん、現実の指導場面においてはまだまだ教師に主導権がある場合が多いのだが、少なくとも言論状況においてはログイン・ログオフの主導権が生徒の側にあるかのような言論が主流を占めつつある。そこでは、教師に社会的責任があるが故に、「アップするか否かの是非は教師が握り、アクセスするか否かの是非は生徒が握っている」と言ってはならない。生徒にアクセスしてもらえないのは、ひとえに教師の指導力が足りないのであり、教師の努力が足りないのである。
さて、この論理に我々教師はどう立ち向かっていけばよいのか。
基本的には〈快〉を提供し続けることである。言い換えるなら、生徒たちに過剰なストレスを与えないようにコントロールし続けることだ。現在の生徒たちは(おそらく大人も)長時間の〈不快〉には耐えられない。
すると、例えば、次のようなことが必要になる。
まず第一に、すべての学習活動をわかりやすくすること。学習活動に取り組むには、その学習が自分にとって重要であると生徒が実感できるような〈物語〉が必要になる。この〈物語〉が複雑ではいけない。単純化され定型化されたものでよい。ワンフレーズでズバッと説得することが必要になる。
第二に、学習活動の規模を徹底的に縮小すること。例えば、合唱コンクールの練習を本来なら毎日1時間から1時間半行うところを、一日30分とする。その代わり集中して取り組もうと告げる。こうした論理だ。この手の論理に対して、現在の生徒たちは肯定的に反応する。
第三に、薬物のごとき強い「快-感動」を与えることであろう。もちろん学校教育の中で薬物のような快楽を与えることは不可能である。しかし、努力・忍耐・協力といった学校文化だけで現在の生徒たちがコントロールできると考えるならば、それは時代錯誤と言わざるを得ない。あくまでも時代に即応した、現代的な〈快〉を提供しなければならない、少なくともそれを教師が希求しなければならない、そういう時代に入ったのだ。
そろそろ学校教育にも、こうしたことを考えての、具体的には生徒たちにログオフさせない環境を整備しながら、一年間を、或いは三年間を巨視的に捉えながら学校文化に少しずつ巻き込み、慣れさせていく、そのような新たな権力の在り方が必要とされているのではないか。そんな気がする。
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