ABC
昨日のボーナス支給日。他の地域にとっては何をいまさらではあろうが、札幌市では今回のボーナスから教員評価がボーナス額に反映された。産出額を50万とした場合(まあ、40歳くらいの人と思ってもらえばいい)、評価BならCに比べてプラス3万、評価Aなら更にプラス3万、ということになる。評価Bなら3万円、評価Aなら6万円、それが仕事を評価されたことの代償である。それに比べて、評価Cなら、これまでに比べて1万円程度の減額、ということになる。
今回の措置、実はすべての職員のモチベーションを下げたのではないか、そんな気がする。
まず、評価Cをもらった大多数の教員。彼らのモチベーションが下がったであろうことは言うまでもないだろう。「自分はどうせCの教員なんだ」「あんなに頑張ったのにCか」「へへへ、うまいことさぼってきたからしょうがないけれど、もうCをもらって給与格差までくらったんだから、いままで通りでいいっていうお墨付きをもらったようなものだ」などなど、具体的にどう思うかはいろいろあろうが、いずれにしても「これまで以上に頑張って評価を上げなくちゃ」と思う人間はほとんどいないだろう。中には「自分はCだ。もうよけいな仕事はしないぞ。これまで自分が善意でしてきたような仕事は、AやBをもらって金を多くもらったやつがやればいい」なんて思う輩もいるに違いない。
では、AやBと評価された教員はどうか。まあ、あまりここに詳しくは書けないが、私から見れば、AやBをもらっている教員たちは確かに頑張って働いており、能力も高い。管理職や市教委がそれほどいわれのない評価をしているわけではない、少なくとも私にはそう見える。(言い訳がましいが、これは勤務校のことを言っているわけではない。私は勤務校で誰がどのような評価を受けているのかを知らない。)おそらく、少なくとも相対的に評価すれば、妥当な評価が行われていると見てよい。
しかし、問題は金額である。A教員やB教員は、C教員に比べて、実はべらぼうな仕事量をこなしている。生徒に学力をつける授業を日常的に研究し、生徒指導に奔走し、教育課程の編制に努力し、学年・学校経営のシステムづくりやPC環境のメンテナンスにまで配慮して同僚が仕事をしやすい環境づくりに気を遣っている。そして、その代償が3万円とか6万円なのである。いわゆるボーナスが半期に一度支給されることに鑑みれば、イメージ的には月に5千円~1万円ということである。
これはもらった側の心象としては複雑なものがある。これまでのように給与格差がない状態ならば、それは仕事の量の違いも仕事の質の違いも、個人の能力の問題となり、自分は能力が高いのだから能力の低い人間ができないことまでやらなければならないのだ、そうして組織ってのは動いていくもんなんだからしょうがない、という論理で自らを納得させることができる。こうしたプライドをもつことが、次の仕事に対する意欲にもつながっていく。
しかし、現実にその仕事の差が金額として半年で3万円、半年で6万円という形で具体的に出てしまうと、自分の頑張りが値踏みされているという印象をもってしまう。更には、自分が現実に被っている仕事上のストレスのほとんどが、他人に対するフォローであることに鑑みれば、この3万円、6万円を捨てれば、他人のフォローをしなくてもいいのではないか、独善的な仕事ぶりが許される立場になるということではないのか、そういう悪魔の囁きも聞こえるようになる。月に5千円~1万円を捨てれば、家でナイターを見ながらゆっくりとビールを飲む時間が確保できるようになるのではないか、土日に趣味に興じることができるようになるのではないか、そういう日々を想像しない者はおそらくいないだろう。中には「よし、これからは一般教員よりも3万円分程度だけ多く働くことにしよう」「プラス6万円ってことは、このくらい働けば十分だろう」なんていう思考をする者もいるかもしれない。
結局、すべての人間が自分の能力を最大限に生かして働こうという意欲を減退させてしまうのではないか。私はそれを怖れる。
これを打開する手立ては二つしかない。一つは給与格差をなくしてもとの状態に戻すこと。そうすれば、再び、鍋ぶた組織が機能し始める。そしてもう一つはもっと格差を広げることである。C教員から3~5万円程度マイナスし、B教員にはプラス10万、A教員にはプラス30万といった格差をつけることだ。ここまで差がつけば、A・B教員もある程度納得する。自分の仕事量に見合った報酬が得られていると感じられるからだ。
では、どちらがいいか。
答えは簡単である。明らかに前者だ。後者はA・B教員のモチベーションを高めたり維持したりはできるだろうが、C教員のモチベーションは更に落としてしまう。そうすると、A・B教員がいくら意欲をもって仕事をしようとしても、それにいっしょについて来るC教員が激減することになる。言うまでもなく、いくら能力が高いと言っても、仕事のほとんどは一人でできるものではない。C教員のモチベーションが下がれば、A・B教員のパフォーマンスも下がってしまう。しかもそれは急降下する。目に見えてA・B教員のパフォーマンスが下がるのに、おそらく半年とはかかるまい。
さて、私は校長や教頭を批判したいのではない。市教委を批判したいのでもない。彼らは口が裂けても言わないだろうが、校長だって市教委だって、今回の措置をやりたくてやっているわけではない。だれが好きこのんで他人の生活にマイナス影響を与える施策をやりたいなどと思うだろうか。彼らだってできればやりたかないに決まっているのだ。そして彼らも、これまで通りのほうが学校をよく機能させられるだろうと思っているに違いないのだ。ほんのひと握りの不適格教師を除けば、教師と呼ばれる者たちが善意でこそ動くのだということを、管理職の誰もが、そして市教委の誰もが知っているのである。
国の発展が止まり、国が貧乏になり、それでも能力のある者、意欲を持つ者に報いようとするとき、現場も、現場責任者も、地方行政も、みーんなせつない思いをせざるを得なくなる。みーんながせつない思いをすればするほど、かつては多様だった物事の価値観が「金」に収斂されていく。基準が「金」に収斂すればするほど、みんなのせつなさが増幅する方向へと舵を切らざるを得なくなる。それしか政策がなくなってしまう。まったくせつない世の中である。
今日、1週間振りにガソリンを入れたら、リッター109円だった。ちょっと嬉しかった(笑)。まったくせつない世の中である。
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