日記・コラム・つぶやき

2008年11月24日 (月)

拡大解釈

インターネット・エクスプローラーのホームをニフティからヤフーに変えた。

ニフティのトップページに掲載されるニュースがあまりにもエンターテイメントに偏りすぎていると感じたからだ。ヤフーはニフティに比べれば少しいい。

トップページのトピックスの「一覧」を開き、更に「国内一覧」を開く。ふむふむと項目を見ていくと、「社会」の項目の一つに「教師の不祥事」とある。驚いた。「年金問題」「消費者保護」「交通情報」「死刑問題」「おくやみ」「世論調査」などと並列で、「教師の不祥事」があるのだ。それだけ教師の不祥事が多いということか、それともそれだけ教師の不祥事に関心が集まっているということか。おそらく両方だろう。教師は一般人の人たちが引きずり下ろしたいと考えるような、身近にいるちょっとその待遇が羨ましい、そういう存在になったのだ。身分も公的だし、もともと聖職なんて言われていた職業だから、そのスキャンダルは楽しい。それは人情である。

さて、「教師の不祥事」を開いてみる。女子高生を買春したわいせつ校長、家庭ゴミを不法投棄した教諭、電車で痴漢行為に及んだ教諭、部活備品をネットオークションで売却していた教諭、と、まあ、よくこんなに不祥事があるものだと驚く。どれも身近には起こったことのない、聞いたことのないタイプの不祥事である。

目を引いたのは、「勤務抜けだし“乗馬” 中学女性教諭を懲戒免職処分」(毎日新聞)という記事。以下引用。

大阪府守口市立中学校の女性教諭(50)が約2年間にわたり勤務時間中に乗馬教室へ通っていた問題で、府教委は20日付でこの教諭を懲戒免職処分とした。/この教諭は06年8月~08年10月、年次休暇を届け出ずに計91回、職場から抜け出して大阪市内で乗馬レッスンを受けていた。無断で学校を離れたのは約220時間に及ぶが、教諭は「問題はないと判断していた」と話しているという。

別に二ュースそれ自体には驚かないけれど、この女性教師のコメントには驚かされる。「問題はないと判断していた」と言っていると言うのである。

検索をかけて調べてみると、どうやら今回の職務専念義務違反は、長期休業中及び空き時間になっている午後であるらしい。しかも無断で早退、回数は44回にのぼるらしい。つまりこの女性教師の中には、長期休業中や空き時間は授業がないので、職場を離れて私用に時間を使っても問題がないという認識があったということである。

これはすごい。

先に挙げたわいせつ校長も不法投棄教諭も、痴漢教諭もネットオークション教諭も、自分が悪いことをしているという自覚はあったはずだ。ばれればとんでもないことになる、ばれれば処分される、ばれれば懲戒免職の怖れもある、それがわかっていたはずだ。しかし、この女性教師には、それほど罪の意識がなかったのではないか。

おそらく日教組がどんなに強かった時代にも、こんなことが学校現場で認められたためしはない。確かに我々教職員にはいわゆる「昼休み」がないので、それを勤務時間終了直前に持って行って45分ほど早く帰ってもよいと暗黙の了解があった時代があった。教委と労組が、或いは校長と分会が交渉して、このあたりを落としどころとしていたのである。だが、それさえも無断でその時間に帰ることを認めていた学校はあるまい。

おそらく、この女性教師の「問題はないと判断していた」というコメントは、こうした慣習が拡大解釈に次ぐ拡大解釈によって「なあなあ」になっていたことから来たものである。府知事がさんざん日教組の批判を展開して問題になったが、もしもそのような実態が大阪府にあるとすれば、それは知事の指摘も肯けるというものである。

確かに人間は楽な方へ楽な方へと拡大解釈をしがちである。しかし、無断早退が許される職場など、おそらくこの国にはあり得ない。そんなあたりまえの感覚さえ麻痺してしまうほどの実態が、大阪府にあるということなのだろうか。たった一人とはいえ「問題はないと判断していた」と応える教師を生んでいるということは、大阪府にそういった風土があったと思われても仕方ないだろう。

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2008年10月 1日 (水)

議論の作法

代表質問。小沢一郎民主党代表が自らの代表質問、麻生総理の答弁が終わった時点で、15分ほど議会の席を立って休憩に行ったらしい。それに腹を立てたのか、ちょうど代表質問に立っていた細田官房長官が小沢代表の批判をNo原稿で始めたらしい。

いわく、小沢代表がかつて自民党から離脱した折、いっしょについて行き、現在自民党に復党している議員が15名いる。彼らは「もう小沢政治はこりごりだ。自由な自民党が一番いい」と言っている。こういう発言だった。ぼくはこれを、報道ステーションで〈編集された映像〉で見たので、前後の文脈がわからない。この番組はかなり際どい編集をすることで有名である。しかも、風呂上がりにビールを一杯、という見方でもあったので、発言するには少々心許ない情報で発言するのを知った上で書く。少なくとも映像として残っているのだから、この発言があったことだけは確かであるからだ。ぼくがいかに書く批判はそれだけで十分なのだ。

ぼくはこの発言は問題だと思う。ここで細田官房長官が批判しているのは「小沢一郎代表の人となり」であって、「民主党の政策」や「民主党代表としての小沢一郎氏の発言」ではない。これは国会の発言としてふさわしいのだろうか。「ここで中座するのは失礼だろ」と、小沢氏を瞬時に叱責したのであればまだ話はわかる。場の論理に規定された、「生もの」としての発言になるからだ。しかし、細田官房長官の発言はそうではない。90年代前半の、既に15年も前の出来事を話題に挙げ、その意味・意義の批判でもなく、小沢氏の言動に対する批判でもなく、かつて小沢氏の周辺にいた人物による伝聞によって、なんの論証もなく、人間批判をして負のイメージを喚起しようとしたのである。しかも国会で…。国会でである。しつこいようだが、いいですか? 「国会」でですよ。

公の会議の場でも他人にの人となりを批判することが許される…そんなコンセンサスがこの国でいつ得られたのか。

これが認められたら、地方議会も、会社の会議も、町内会の会合も、学校で言えば職員会議も学級会も、すべての議論の場が崩壊してしまうではないか。議論をする上での根本的な規範が崩壊してしまうではないか。

ぼくは別に小沢氏や民主党を支持しているのではない。自分の代表質問が終わった途端に休憩に入る小沢氏は責められて然るべきだし、細田官房長官が腹を立てるのもおかしなことではないだろう。しかし、しかしである。その問題と〈議論の作法〉の問題とは別の問題である。いくら腹を立てても、やっていいこととわるいことがある。公の会議というものは「言いたいこと」を言うのではなく、あくまでも「言うべきこと」をこそ言わねばならない。少なくともぼくは生徒たちにそう指導している。それが〈議論の作法〉である、と。

その昔、学校教育にディベートが盛んに導入され始めた頃、様々な批判があった。批判の仕方はいろいろあるが、要は二つである。①子どもが本当に思っていることではないことを、議論の練習だと言って主張させるのはおかしい、②ディベートで議論の練習をしても口先人間をつくるだけである、という二点である。

ぼくは現在ディベート教育に賛成の立場をとるけれども、ここでディベート教育の良さを主張するつもりはない。しかし、今週に入ってからの国会は、どうもこの二つの批判がまるまんま当て嵌まる議論になっているようだ。〈本当に思っていること〉を〈強い口調で主張すること〉が国会を盛り上げ、国民に政策を訴えることになり、活発で良い議論になる、という馬鹿げた風潮に縛られているのではないか、ということである。つまりは政治家が、〈本当に思っていること〉を言う口先人間に成り下がっているのである。それが相手の人となりを批判しても良いのだという空気を無意識のうちに作り出しているのではないか。言っておくが、今日の細田官房長官の発言は「批判」ではない。「非難」である。「人格に対する非難」である。小学校の学級会でさえ先生が絶対に禁じる、議論の前提の前提を侵しているのだ。公の議論における「禁じ手」を、恥じることなく、堂々と展開したのである

そして、何度も何度も繰り返すが、それが「国会」で行われたのだ。いいのか、これで。

一年前、昨今の子供たちには規範がない、学校教育が毅然とした指導を行えるように、そう教育基本法改訂に力を入れた首相が政権を放り投げた。そして今日、官房長官が小沢一郎という政治家個人の人となりを「国会」で非難した。彼らは自分たちが、国民の、そして子供たちのモデルになっているということを自覚しなければならない。

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2008年9月30日 (火)

〈原罪〉と〈幻想〉

昨日今日と二日連続でわいせつ教師逮捕のニュースが流れた。「またか…」という思いを禁じ得ない。最近はこういうニュースにも少々慣れてしまったところがあって、ぼく自身も世論も感覚的に麻痺してきているようだ。さすがに去年の秋のように現役教頭となるとショックが大きいが(しかもあの事件の現場は札幌だった)、普通の、と言ってはなんだが、最近は一般的なわいせつ事件では驚かなくなってしまっている。そんなぼくでも、今回は二日連続の報道ということで少々驚いてしまった次第である。

今回は二件とも、教え子に対するわいせつ行為だ。一件は埼玉県の小学校教師(56)の小1女児へのわいせつ行為、もう一件は東京都の高校教師(52)の高3女子生徒へのわいせつ行為である。高校教師の方は論文指導と称してホテルに連れ込んだというのだからあきれる。

ぼくが今回このわいせつ事件について語ろうと思ったのは、実は二日連続で教師が逮捕されたことだけが理由なのではない。去年の現役教頭もそうだったが、今回の二人も年齢が五十代なのである。「五十路にもなってなんなのだ」というのは簡単だが、ちょっと考えてみようと思った。

ぼくは現在42だが、四十路を迎えて声を大にして言いたいことは、若い頃に漠然と感じていた「年齢を重ねるとともにアイデンティティが獲得され、次第に小さなことで頭を抱えたりくよくよしたりすることが少なくなっていくのだろう」という〈大人のイメージ〉はすべて嘘っ八だった、ということである。ぼくは15のときも25のときも35のときも、小さなことに頭を抱え、ほんの些細なことにもくよくよし続けてきた。そして42の現在も同様に頭を抱えくよくよしているのだ。

いま目の前にいるぼくの教え子たちも、もしかしたら大人になれば悩むことからも孤独感からも解放されるのではと幻想を抱いているかもしれない。しかし、ぼくらは彼らより少しだけ先の人生を歩む者として、「それは幻想だ。中年になったってその苦しみからは解放されないよ」と〈ほんとうのこと〉を語ってあげなければならないのではないか。むしろきみたちも経験してきた小学校時代とか、それ以前の幼少時時代のほうが悩みのない幸せな時間だったのだと。〈大人幻想〉は文字通り〈幻想〉だよと。15のときに「25になれば…」、25のときに「35になれば…」、35のときに「45になれば…」なんて未来に精神の安定を期待するのは、〈人生のからくり〉に過ぎないと。

そしておそらく、50になっても60になっても70になっても、この〈かにくり〉はまさしく〈からくり〉として機能し続けるのだろう。保護者を見ているとわかってくることがある。十代で子供を産んだ若い母親も、適齢期に子供を産んだ一般的な母親も、高齢出産でやっと子供を与ったという還暦に近い母親も、みんな子育てで同じように悩んでいた。いや、年齢が高くなればなるほど、悩みは深いようにさえ思えたほどである。それが現実だ。

おそらく今回の二人の教師も悩み戸惑いながら教員人生を歩んできたのだろう。56歳といえば全共闘に乗り遅れた世代である。52歳といえば足下から湧き上がってくる新人類世代におののいた世代である。いずれも世代的アイデンティティをもちにくかった世代と言われる。本当か嘘かはぼくにはわからない。しかしそういう実感を語る人間たちと同じ世代ではあるということだ。彼らはどこか時代に乗り遅れた、中途半端な世代なのかもしれない。

こういう決めつけに何の意味もないことをぼくも知っている。けれども五十代前半に心の病による休職者や自殺者が多い現実なんかを見ていると、彼らのメンタリティには、ただただバブルを謳歌した楽観的なぼくらの世代にはわからない、〈原罪〉のごとき感覚が巣くっているように見えるのだ。

そこに現れたネット社会、高度情報化社会である。ビデオもDVDもインターネットも、ある観点から見れば「人々がもともと持っていなかった欲望を、人々にもともと持っていたかのように錯覚させ、その錯覚的・幻想的欲望をどんどん拡大増殖させる」メディアである。去年のわいせつ教頭も含めて、模糊とした〈原罪〉意識を持ち、孤独で、世代アイデンティティが拡散しているおじさんたちは、 この構図にまんまと引っかけられてしまったのだろう。こんな構図に引っかけられて、この世界には存在しない〈幻想〉と自分の具体的な〈現実〉との狭間に生きるようになってしまったのである。「おじさんを愛してやまない女子高生」や「おじさんの躰をさわって性に目覚める少女」なんていう馬鹿げた幻想は、エロビデオとエロサイトの中にしかない。

昔から少女幻想は川端康成や谷崎潤一郎が描いてきたし、老いと性欲の問題は伊藤整や中村真一郎が描いてきた。しかし、彼らの行為にはそういった〈耽美的な性〉の欠片もない。「論文指導とラブホテル」にしても「小1女児に対する性的幻想」にしても、想像力というにはあまりにも表層的なレベルで構築されたインターネットや映像メディアによる負の産物である。比喩的に言えば、かつての「にっかつロマンポルノ」にあったロマンが欠落しているとでもいおうか(笑)。

この二人がそうだとは言わないが、ネットをはじめとする今日のメディア社会は、そうと自覚しないままになんとなく他人に流されながら生きてきた、免疫のない善良なおじさんたちを、次々に「性的欲求を増幅させ続けるエロじじい」や「小さな差違に敏感になったルサンチマンじじい」へと変容させていく。

いずれにしてもいい年にもなって馬鹿げた罪を犯してしまったのだから、法的には自分で責任を取り、法を超えたところに現れる家族や世間やなんやかやの取りようのない責任に怯えながら生きていくしかない。同情はしないが切なさは残る、そんな事件である。

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2008年9月28日 (日)

前略、中山成彬様

おもしろいもので、中山成彬前国交相が批判したことで日教組が俄然注目を集め、その反論が注目され、ネット普及以来の検索の多さを数え、結局は日教組に追い風が吹いている。この流れの中で今後も中山前国交相が公に批判すればするほど、中山前国交相の意図に反して逆効果になっていくだろう。

しかし、(ぼくは組合員じゃないので言いづらいのだが、)まあ教職員の内部にいる人間にいる一人として言わせてもらえば、中山さんが考えているほど日教組にはもう力がない、と声を大にしたい。そんなにムキにならなくても、中山さんが「ぶっ壊そう」としなくても、先細りしていきますからご安心を。こういうふうに日教組に注目を集めることの方が、日教組にとってはかえってプラスになっているのではないか、そんなふうにさえ思える。

ただし、一つだけはっきりさせておきたいのは、教職員の「がん」は組合員か非組合委員かということとはあまり関係がないということである。非組にもひどいのはいっぱいいるし、組合員にも優秀なのはいっぱいいる。そんなのどこの組織でも同じである。○○という組織に属しているから優秀とか、△△という組織に属しているから優秀ではないなどということは原理的にあり得ない。

確かに日教組は法的に認められていないとはいえ労働組合だから、教員の労働条件を適正な規模にしようという運動はする。それがときに、「もっと楽にならないか」と適正規模を超えて労働条件を自分たちが必要以上に得をする方へともっていこうとする場合もあるだろう。しかし、そこは多くの人間が所属する組織である。「そこまでやっては世論の理解が得られないのでは」という政治的判断ができる人間や、「それは子どもたちにとってプラスにならないのではないか」という教育的判断ができる人間もちゃんといて、世論の動向をうかがいながら、行政との折衝でそこそこのところに落ち着くようにできているのである。

一方、非組側の人間たちの中にだって、子どもの側ではなく学校長や行政のほうばかりを見て、まったく教育的でない「学校内政治」ばかりにうつつを抜かしている輩もたくさんいるわけで、これなんかはその辺の組合員よりもずっと害悪を重ねていると言っていい。

結局、人間だれしも、自分のことを第一に考える。できるだけ楽な労働条件でできるだけ多くの報酬を求めたいという「自分のこと」もあれば、校長や行政にこび売ってでもなんとか早く昇進したいという「自分のこと」もある。なんのことはない、学校教育に限らず、「社会のがん」にならない人間というのは、その「自分のこと」を考えるときに、「子どもたちのため」とか「保護者のため」とか「同僚のため」とか「学校のため」とか「社会のため」とかも同時に考えて、自分が所属する共同体と「自分のこと」とのバランスをとろうとする人間なのだ。つねに頭の中で「自分のこと」と「自分を包む公」とのせめぎ合いをおこなっている人間、それを我々は「優秀な人間」と呼ぶのである。

そういう人間は組合員の中にもいるし、非組合員の中にもいる。言わなくても当然のことだ。そしてこれができない「社会のがん」だって組合員にもいるし非組合員にもいるし、もっと言えば校長や指導主事の中にもいる。そんなこと、人間の集団なのだからあたりまえのことなのである。

でも、そんななかでみんな頑張っているのだ。あの人は優秀だからこれだけやってもらわねばならない、あの人は能力的にそこそこだろう、あの人はちょっとポンだからみんなでフォローしなくちゃね、などなど、そうやってこの国の組織というものは動いてきたはずではないか。その組織構造はいまだって何も変わってはいない。そしてそういう国民性を我々はなんだかんだ言っても愛し続けているのではないでしょうか。

中山さんだって、その手の愛情をもっているからこそ「単一民族国家」なんて言っちゃうわけでしょ? ぼくは北海道に住む人間として、また小中学校時代にアイヌの友達と机を並べてきた人間として、こっちの発言だけは違和感をもたざるを得ません。「ごね得」発言はまあご愛敬でしょう。中山さんの辞任会見の開き直りだって、この騒ぎがおさまってしまえば「ごね得」になるはずですよ(笑)。

まあ、ぼくも組合やめてますから、そう言いたくなる気持ちはわからないでもありませんけどね。あんな上品な奥さんをおもちなのですから、どうぞお幸せに。

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2008年9月23日 (火)

少年時代

民主・自民ともに総裁選が終わり、政治の興味が組閣人事に移り始めた日、王貞治が「私は幸せでした」という言葉を残して、静かに自らの野球人生に終止符を打った。1時間近い記者会見を見ながら、心身の奥底から涙があふれそうになった。

この感触は昭和55年の秋、長嶋監督と王貞治選手が同時に引退したときにも感じたものだ。そうだ。あのときも、アンチ巨人を誇りにしている中学2年の餓鬼でさえ「何かの終わり」を感じたものだ。この感慨はその後、美空ひばりと石原裕次郎が相次いでなくなったり、いかりや長介が亡くなったりといったときに、幾度か感じたことがある。

ああ、これで、原や落合といった世代の時代が本格的に始まるのだな、これで野村監督がやめてしまったら、もうぼくらが少年時代にあこがれた選手が一人もいなくなってしまうのだな、そんな寂しさを感じたのだ。そして二十年後、いや、十数年後には、原や落合さえ現役ではなくなる。それは、哀しいけれど確かなことだ。

昨年から、不祥事続きの相撲界だが、朝青龍問題のときもロシア人力士の大麻問題のときも、ぼくの興味は朝青龍やロシア人力士にはなく、かつての朝潮、二代目若乃花、そして北の湖という、ぼくが小学生から中学生時代にかけて大活躍していた横綱・大関の戸惑いの表情だった。かつて、土俵上であんなにも堂々としていた彼らが、土俵を降りて、世論の風当たりに右往左往している。それは、哀しいけれど確かなことだ。

思えば、初任校で新卒の僕を可愛がってくれた藤野先生が亡くなったとき、二度目の卒業生を出したときの学年主任田中先生が亡くなったとき、そして大学時代の師匠森田茂之が亡くなったとき、更には昨年の夏、私を40年にわたって甘やかし続けた祖母が亡くなったとき、彼らはみな、それぞれの形で、ぼくの中にある「少年的なもの」を連れ去っていったものである。それも、哀しいけれど確かなことだ。

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